王必

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王 必(おう ひつ、? - 218年)は、中国後漢末期の武将曹操家臣

生涯[編集]

曹操の古くからの家臣で、198年呂布を捕縛した際、曹操が呂布の武力に魅力を感じていたため呂布の要求に応じて縄を緩めようとした際、王必は諌めた[1]。218年の建安23年の変金禕耿紀韋晃吉邈吉穆らが反乱を起こした際には厳匡と共に討伐した[1]。この際、乱戦の中で肩に矢傷を負い、親しい金禕を頼ったが家人が王必と知らずに真相を話したので王必は難を逃れて反乱は平定されたという(『三輔決録』)。しかしこの際に受けた矢傷が原因で間もなく死去した[1]

曹操は王必が死んだことを知ると激怒し、後漢の百官をに呼びつけて乱の日に消火に加わったかどうかを尋ねた。百官らが助かりたい一心で、全員が消火に加わったと述べたところ、曹操は「消火に加わった者は反乱に協力した者」だと難癖をつけ、全員を殺害した。

三国志演義』では史実どおり反乱の際に近衛軍の指揮官として登場。ただし酒好きで司馬懿に指揮官就任を反対されている。反乱鎮圧には曹休夏侯惇が務めたが、王必は矢傷が原因で死去した。

脚注[編集]

  1. a b c 小出『三国志武将事典』P218

参考文献[編集]