王審知
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王 審知(おうしんち、862年 - 925年)は、五代十国の閩の初代君主(在位:909年 - 925年[1])。閩の建国者であることから太祖(たいそ)と称される[1]。字は信通[1]。
生涯[編集]
光州固始(現在の河南省)の出身[1]。父親に王恁、兄に王潮がおり、父は農民で兄は県の役人である[1]。唐末期の混乱で兄と共に盗賊に身を落として現在の福建省に入り、兄弟揃って力をつけて唐の皇帝・昭宗から兄は泉州刺史、福建観察使となり、王審知は兄を助ける副使となる[1]。兄が亡くなった897年頃に跡を継いで威武節度使となり、琅邪王に封じられた[1]。
907年に唐が滅亡して朱全忠により後梁が成立すると、朱全忠に服属して閩王に封じられる[1]。また呉の楊光密にも毎年使者を送った[1]。
盗賊の出身だったが倹約を好み家臣とも気安く接する人格者で、このため唐滅亡後に混乱を深める中央から逃れてきた名士は王審知を頼り、閩は学問国家として大いに繁栄したという[1]。