王 延羲(おう えんぎ、? - 944年)は、五代十国の閩の第5代君主(在位:939年 - 944年[1])。廟号は景宗(けいそう)と呼ばれる[1]。
初代君主・太祖の子[1]。甥の康宗が王室の虐殺を行なったため反乱を起こして景宗を殺害し即位した[1]。後晋の冊封を受けたが、気まぐれで虐殺を行なうなどその所業は甥と変わらなかった[1]。このため国内は乱れ、弟の王延政は建州で自立して殷を建国した[1]。
王延羲は結局944年に家臣によって殺害された[1]。