王伉
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王 伉(おう こう、生没年不詳)は、中国の三国時代の武将・政治家。
生涯[編集]
益州蜀郡の出身[1]。永昌郡の府丞で、223年に劉備が崩御すると建寧郡の雍闓らが孫権と手を結んで反乱を起こし、雍闓は孫権から永昌郡の太守に任命されて同郡に侵攻し、この郡は成都と連絡が遮断された[1]。しかし王伉は郡吏の呂凱と共に官民を統率して国境を封鎖して反乱軍の侵攻を防ぎきったため、蜀から大いに賞賛されて永昌郡の太守に任命されて亭侯に封じられた[1]。
『三国志演義』では最初から永昌郡の太守にされており、孟獲や雍闓、高定らに攻められるが呂凱と共に防ぎきる。そして諸葛亮の南征で呂凱を南蛮の道案内役として推挙した。