滕牧
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滕 牧(とう ぼく、生没年不詳)は、中国の三国時代の呉の武将。滕 密(とう みつ)とも言う[1]。
生涯[編集]
滕胤の一族。娘に滕芳蘭がいる。元の名は密だが、改名して牧と名乗った[1]。
256年に滕胤が孫綝に殺害された際、滕氏は孫綝によって辺境へ流罪にされた[1]。しかし孫綝が殺害されて孫休が皇帝に即位すると許されて呼び戻され、五官中郎将に任命された[1]。この際に娘の滕芳蘭を当時の鳥程侯である孫皓に嫁がせた[2]。264年に孫休が崩御し、孫皓が第4代皇帝に即位すると自動的に滕芳蘭は皇后に立てられたので、その父である滕牧も高密侯・衛将軍・録尚書事と重職を任される立場になった[1]。しかし滕芳蘭に対する孫皓への寵愛が薄れ、また孫皓の暴虐をたびたび諫めたために遂に孫皓の怒りを買って交州蒼梧郡への流罪を申し渡され、そこへ赴く途上で死去した[1][3]。