浅井四郎左衛門
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浅井 四郎左衛門(あさい しろうざえもん、? - 天正4年8月12日(1576年9月4日))は、戦国時代の武将。織田氏の家臣。
略歴[編集]
父は浅井孫八郎で熱田の出身(『浅井系図』)。子に自身と同じ通称を称した四郎左衛門、娘に千秋季忠に嫁いだ娘がいる。受領名は備中守。
『信長公記』では早くから織田信長に仕え、天文年間に盆踊りに参加して黒鬼の役を務めたとある。永禄9年(1566年)12月、信長から7貫200文を知行として与えられ、翌年には尾張国を訪れた連歌師の里村紹巴の接待役を務めている。
天正4年(1576年)8月12日に死去。家督は子の四郎左衛門が継承し、信長、そしてその次男である織田信雄に仕えている。