波多野秀尚

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波多野 秀尚(はたの ひでなお、? - 天正7年6月8日1579年7月1日))は、戦国時代武将波多野氏の一門で家臣。

生涯[編集]

父は波多野晴通で次男。兄に波多野秀治がいる。

織田信長足利義昭を奉じて上洛すると、兄と共に信長に降った。天正4年(1576年)1月、兄と共に信長から離反し、結果的に明智光秀によって丹波国八上城を攻められることになる。秀尚は兄と共に何度か防ぐものの、天正7年(1579年)6月1日に遂に開城。7日後の6月8日に兄と共に近江国安土城に護送され、そこでに処されたと『兼見卿記』『信長公記』は伝えている。