歩度根
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歩度根(ほとこん/ほたくこん、? - 233年)は、中国の後漢末期から三国時代にかけての魏初の鮮卑族の大人(たいじん:部族長)。檀石槐の孫。魁頭や扶羅韓の弟。
生涯[編集]
次兄の扶羅韓が歩度根とは別の勢力を立てるなど歩度根の時代の鮮卑は衰退しており、曹操が袁尚を攻めて幽州を平定すると軻比能と共に曹操に降り朝貢する[1]。しかし軻比能と対立して抗争し、次第に自分の勢力を衰退させてゆく[1]。
曹操の死後、跡を継いだ曹丕から王に封じられるものの、勢力の衰退は変わらず魏を頼って幷州に入ることで身の安全を図った[1]。233年、軻比能と和議を結んで魏で略奪を行なったので、魏が派遣した秦朗の討伐を受けて敗走を余儀なくされ、結局は軻比能によって殺害された[1]。