扶羅韓(ふらかん/ほらかん、? - 218年)は、中国の後漢末期の鮮卑族の大人(たいじん:部族長)のひとり。檀石槐の孫。魁頭の弟。歩度根の次兄。泄帰泥の父。
兄の魁頭の死後、弟の歩度根が跡を継いで大人になったが、勢力が衰退したので自ら別の勢力を興して大人となった[1]。しかし扶羅韓は信望が無く配下はほとんど心服しなかったとされ、このため軻比能と通じてその力を借りて部下を服属させた[1]。
218年、軻比能との会盟の席上において暗殺され、息子の泄帰泥をはじめとする配下などは全て軻比能に吸収された[1]。
『三国志演義』には登場しない[1]。
- ↑ a b c d 小出『三国志武将事典』P398
参考文献[編集]