武田信満
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武田 信満(たけだ のぶみつ、? - 応永24年2月6日(1417年2月22日))は、室町時代前期の守護大名。甲斐・安芸の守護[1]。甲斐武田氏の第13代当主。父は武田信春で嫡男[1]。子に武田信重・武田信長、今井信景、今井信経。官位は安芸守[1]。通称は二郎[1]。妻は小山田弥三郎の娘[2]。
生涯[編集]
応永20年(1413年)、父の死により家督を継いで当主となる。
応永23年(1416年)に上杉禅秀の乱が起こった際、信満は禅秀の小舅として禅秀に協力する[1]。しかしそのため翌年に足利持氏が室町幕府の支援を得て逆襲してくると信満は甲斐に敗走[1]。最終的に持氏の命を受けた上杉憲宗により追い詰められて都留郡木賊山において自害した[1]。
子の信重は剃髪して高野山に逃れたので武田家は断絶を免れ、後年に信重により武田家は復興した[2]。