槍奉行
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槍奉行(やりぶぎょう)とは、軍隊の槍を管理する役職のことである。戦争になった場合には槍部隊の総大将として指揮を執るが、平時の場合は勤務規定は特に無く、式日に出仕するだけの閑職であった。鑓奉行とも書かれる。
江戸幕府の将軍家である徳川氏においては、天正18年(1590年)の小田原征伐の際に槍奉行を設置しているのは初見である。ただし、江戸幕府成立後に制度化したのは第3代征夷大将軍・徳川家光の時代である寛永9年(1632年)6月である。このときは松田定勝・富永重吉ら5名が任命されている。
槍奉行の定員は3名から5名であり、時期によっては1名が江戸城西の丸付となった。老中支配とされ、初期は役料が自らの知行とは別に与えられていたが、享保8年(1723年)6月に第8代征夷大将軍・徳川吉宗によって役高2000石と定められた。また、布衣を許され、江戸城の詰間は菊之間南敷居外詰とされ、奉行の下には同心が10人ずつ付属し、役高は30俵2人扶持と定められていた。