梨本隆夫

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梨本 隆夫(なしもと たかを、1938年昭和13年) - )は、梨本家(旧:梨本宮家)第6代祭祀継承者を自称する。梨本徳彦の養子(平成14年9月19日弁護士立会)。旧姓は神林[1]宗教団体「出羽三山」第17代教主[2]一般財団法人「梨本宮記念財団」の代表理事。

人物[編集]

1938年昭和13年)、山形県東田川郡羽黒町(現在の鶴岡市)出身。第32代崇峻天皇の皇子・蜂子皇子(能除大師)が開祖とされる出羽三山羽黒派古修験道の家系に生まれる。立命館大学文学部哲学科心理学専攻卒業。

元は、羽黒山で山伏をしていた。梨本徳彦と養子縁組をした。徳彦は2005年やまびこ会詐欺事件のように詐欺に巻き込まれることが多々あり、この養子縁組も一例である[3]。養子であるため皇室との血縁関係はなく、旧宮家としての梨本家も徳彦の死によって断絶した[4][5]

2002年平成14年)11月、梨本家(旧梨本宮家)当主・梨本徳彦の養子となる[2]

2006年(平成18年)5月2日巫女35人を含む日本人50人を引き連れて韓国宗廟祭礼祭に参加し、5月3日には摩尼山で祭祀を執り行った[2]。この際、隆夫は「10年前から日本を代表して英親王(李垠)の息子、李玖氏と共に5月の行事(宗廟祭礼)に参加した」や「李方子女史は梨本宮家の祖父、儀光の女兄弟」[6]などと主張している。この一連の行動に対し、李王家の末裔らは不快感を露わにした[2]

また、養父の徳彦の名前をNPO法人やまびこ会(2005年3月NPO認証取消)の名誉総裁などに利用したとされ、他にも巨額の詐欺に関与している疑いが取り沙汰された[1]。徳彦は2005年やまびこ会詐欺事件のように詐欺に巻き込まれることが多々あり、この養子縁組も一例である[7]。養子であるため皇室との血縁関係はなく、旧宮家としての梨本家も徳彦の死によって断絶した[8][9]

梨本宮記念財団[編集]

目的[編集]

日本韓国中国台湾間に横たわる心の傷跡を真摯に見つめ、日本国・皇室の立場に立った過去の因縁解消懺悔滅罪の基本理念のもと、未来にわたっての東洋平和、世界平和を提唱していくことを目的とする。

  • 将来に生き甲斐を形成する青少年の教育育成
  • 高齢化社会における福祉施設の増設推進
  • 自然環境保護と植樹行事の推進
  • 日本と亜細亜においての青少年交流推進
  • 旧皇族への支援及び交流(品位保持)

活動[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. a b 週刊新潮』2006年2月23日号。
  2. a b c d 日本の巫女が宗廟祭礼に参加し論議に - 朝鮮日報 日本語版
  3. 2005年6月16日 「読売新聞」
  4. 川村一彦『戦後日本の回想・S22年』(歴史研究会、2021年)
  5. 旧皇族復帰プランで浮上、ベールに包まれた「東久邇宮家」に6人の男子”. デイリー新潮. 2024年3月8日確認。
  6. これは誤りで、李方子は広橋儀光の伯母である。なお、儀光は梨本家を継いでいないため、「梨本宮家の祖父」でもない。
  7. 2005年6月16日 「読売新聞」
  8. 川村一彦『戦後日本の回想・S22年』(歴史研究会、2021年)
  9. 旧皇族復帰プランで浮上、ベールに包まれた「東久邇宮家」に6人の男子”. デイリー新潮. 2024年3月8日確認。