桑名 親勝(くわな ちかかつ、? ‐ 天正20年(1592年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。長宗我部氏の家臣。官途は将監[1]。
父は桑名丹後守。兄に桑名太郎左衛門と桑名平右衛門がいる[1]。
父や兄と同じように長宗我部元親に仕え、土佐国統一や四国制圧における一連の戦争で多くの武功を立て、天正年間初期に土佐安芸郡野根城主に任命された。天正14年(1586年)12月の戸次川の戦いに兄・太郎左衛門と共に参加し、兄は戦死し、自らは生き延びて元親から戦況を豊臣秀吉に伝えるように命じられている[1]。
文禄の役にも参加し、熊川の戦いで戦死した[1]。