栗原 昌種(くりはら まさたね、? - 永正5年10月4日[1](1508年10月27日))は、戦国時代の武将。甲斐武田家の家臣。子に信友[1]。
仮名は惣次郎[2]。永正元年(1504年)10月28日、広厳院に一宮庄内の地を寄進した[2]。永正5年(1508年)の武田信虎と油川信恵の戦いでは後者に味方し、勝山合戦において敗死した[2]。
法名は喜阿弥陀仏(『一蓮寺過去帳』)。