柳沢光被

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柳沢 光被(やなぎさわ みつひ、天明4年7月12日1784年8月27日) - 天保7年9月24日1836年11月2日))は、越後黒川藩の第6代藩主。

来歴[編集]

父は第5代藩主・柳沢信有。母は藤原米子(家女房吉川氏)。Wikipediaでは長男となっているが実際には次男である。江戸牛込藩邸で生まれた。正室は戸沢正親の娘、継室は柳沢保光の娘。通称は金蔵。官位は従五位下、伊賀守、伊勢守。

寛政9年(1797年)3月23日に父・信有が死去し、5月16日に家督を相続する。

寛政10年(1798年)4月18日、将軍・徳川家斉御目見し、8月28日に元服。12月16日、従五位下伊賀守に叙任する。文化6年(1809年)6月4日に伊勢守に改める。

享和2年(1802年)1月26日、大坂加番を命じられる。文化3年(1806年)と文化4年(1807年)と文化11年(1814年)に日光祭礼奉行を命じられる。文化6年(1809年)、2度目の大坂加番を命じられる。

最初の正室には先立たれ、2度目の正室との間にも子女に恵まれず、宗家から養子の光昭を養子に迎えた。天保7年(1836年)9月24日に死去した。53歳没。跡を養子の光昭が継いだ。法名は随心院千転実幽。墓所は東京都新宿区市ヶ谷河田町の正覚山月桂寺。