柳沢信有
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柳沢 信有(やなぎさわ のぶとう、宝暦2年2月23日(1752年4月7日) - 寛政9年3月23日(1797年4月19日))は、越後黒川藩の第5代藩主。
来歴[編集]
父は第4代藩主・柳沢保卓で長男。母は植村家敬の娘。正室は柳沢信昌(大和郡山藩主・柳沢吉里の5男)の娘・柳沢幸子(柳沢信鴻の養女)。継室は阿部正福の娘・美子。子は柳沢光被(長男)、柳沢資顕(次男)。官位は従五位下、伊勢守、和泉守、伊賀守。
江戸牛込の藩邸で生まれる。仮名は政五郎。明和3年(1766年)12月21日に元服し、明和5年(1768年)12月1日に第10代征夷大将軍・徳川家治に御目見する。
安永3年(1774年)3月22日の父の死により、5月18日に家督を相続して第5代藩主となる。12月18日に従五位下伊勢守に叙任。
駿府加番、日光祭礼奉行を歴任。和泉守、伊賀守と受領名を改めている。寛政9年(1797年)3月23日に江戸牛込藩邸で死去し、跡を長男・光被(側室・藤原米子との子)が継いだ。46歳没。法名は高雲院自達道光。墓所は東京都新宿区市ヶ谷河田町の正覚山月桂寺。