林半介
ナビゲーションに移動
検索に移動
林 半介(はやし はんすけ、生没年不詳)は、安土桃山時代の武将。石田三成の家臣。
略歴[編集]
美濃国安八郡青柳村出身。百姓から三成に抜擢されて知行700石を与えられ、使番に任命された。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際、三成が居城の佐和山城に家臣を集めてその覚悟を促した際、末席にいた半介は進み出て功名を挙げることを誓ったという[1]。
9月14日、関ヶ原の戦い本戦の前哨戦となる杭瀬川の戦いの際、一番首を取り、さらに自ら殿軍を務めあげ、東軍の猛将である本多忠勝隊に向かって勇戦したという。その余りの勇戦ぶりに、徳川家康は「あっぱれな不敵者かな。武功に志す者は、あの武者の草摺をいただけ」と感嘆したといわれる[1]。
その後の行方は不明。