松下康雄

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松下 康雄(まつした やすお、大正15年(1926年1月1日 - 平成30年(2018年7月20日)は、第27代日本銀行総裁大蔵事務次官

生涯[編集]

兵庫県神戸市出身。東京大学法学部卒業して昭和25年(1950年)に当時の大蔵省に入省し、官房長主計局長を歴任する。昭和57年(1982年)に大蔵事務次官に就任する。昭和61年(1986年)に太陽神戸銀行(現在の三井住友銀行)に転じて、翌年頭取に就任する。平成2年(1990年)には当時の三井銀行との合併を断行して成立した太陽神戸三井銀行の会長に就任した。

平成6年(1994年12月、任期切れで退任した三重野康の後任として、第27代日銀総裁に就任する。平成7年(1995年3月末に1ドルが80円台にまで上昇した円高圧力の緩和を狙って、短期金利が公定歩合を下回る水準になるようにする低め誘導を実施する。さらに9月には公定歩合を当時としては過去最低となる年0.50パーセントにまで引き下げ、超低金利政策を開始した。この年の8月コスモ信用組合が経営破綻したため、預金者を保護するために無担保無期限の特別融資を30年ぶりに実施している。

平成9年(1997年)に北海道拓殖銀行山一證券などの破綻を引き金にした金融不安が発生すると、日銀特融などを実施して事態の収束に尽力した。ところが平成10年(1998年)になると、大蔵省や日銀などを巻き込んだ金融接待汚職事件が発生し、これにより日銀幹部が逮捕される事態になり、さらに多数の処分者も出したため、日銀総裁である松下の責任論も浮上し、3月に任期半ばで引責辞任を遂げた。

平成30年(2018年)7月20日に死去。92歳没。

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