東久邇信彦

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東久邇 信彦(ひがしくに のぶひこ、昭和20年(1945年3月10日 - 平成31年(2019年3月20日)は、日本の元皇族。皇籍にあった際の名前は信彦王(のぶひこおう)。

概要[編集]

父方の祖父は第43代内閣総理大臣東久邇宮稔彦。祖母は明治天皇の第9皇女である東久邇聡子。そのため、明治天皇の曾孫に当たる。

父は東久邇宮盛厚で長男。母は昭和天皇と香淳皇后の第1皇女である東久邇成子なので、昭和天皇香淳皇后の初孫である。信彦が生まれた時は東京大空襲の当日で空襲警報が発令中だったため、自邸の防空壕に逃れて出産が行なわれたという。

産まれてからしばらくは自宅の防空壕で生活していた。終戦後の昭和22年(1947年10月14日、祖父である東久邇宮稔彦が皇族の身分を離脱し、信彦も皇籍離脱した。皇籍離脱した皇族の中では最年少であった。皇籍離脱後には民間人として生活し、後に平成20年(2008年6月全日本野球会議名誉会長に就任した。

昭和48年(1973年)には長男に恵まれているが、この長男は昭和天皇と香淳皇后にとっては初めての曾孫である。

平成31年(2019年)3月20日午前3時20分、東京都港区の自宅で病気のため死去した。74歳没。

なお皇籍離脱していなければ、現在の皇室において皇位継承順位は第85位にあたる存在であった。

系譜[編集]

父母[編集]

兄弟姉妹[編集]

妻子[編集]