村山富市

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村山富市(むらやまとみいち、1924年3月3日 - )とは、大分県大分市出身の政治家。

概要[編集]

明治大学専門部卒業。日本社会党の政治家。1993年日本社会党委員長に就任した。
1994年から1996年まで自さ社連立の内閣総理大臣を務め、在任中に戦後50年となった1995年には村山談話を公表し、日本の第二次世界大戦における加害責任を認めたが、その内容には保守層を中心に批判も根強い。
阪神・淡路大震災の際には自衛隊派遣を要請しなかったことで被害を拡大させたという説があるが、これは誤りである。むしろ、村山富市はそれまで社会党内では違憲とされていた自衛隊の存在を合憲と認めた人物である。しかし、このことがきっかけになって社会党は支持基盤である労働組合や非武装中立論者からの支持を失い、凋落に繋がったとする見解も強い。
2000年に議員を引退するが、その後も社会民主党員として政界への関与を続けている。98歳になった2022年の参院選直前にも、社民党党首の福島瑞穂に「負けたらあかんで」とエールを送っている。
2024年には、東久邇宮稔彦王中曾根康弘に続いて百歳を迎えた首相経験者となった。

その他[編集]

大分県出身の元大関千代大海とは実家が近所同士である。