千代大海龍二
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千代大海龍二(ちよたいかい りゅうじ、1976年(昭和51年)4月29日 -)は、大分市出身の元大相撲力士。本名は須藤(旧姓・廣島)龍二[注 1]。現・九重部屋師匠。
概要[編集]
北海道千歳市生まれ。実父が亡くなり、母の故郷の大分市に転居する。
中学校時代は、「十二単」で部下を引き連れた暴れん坊だったが、空手も習っており、中3時代の相撲大会で後に漫才師(パンクブーブー)になる佐藤哲夫を破った。
市内の私立高校に受からず、鳶職となったが、一念発起して、ヤンキースタイルで、九重部屋継承直後の千代の富士に廣島龍二少年は入門志願。頭を剃って九重部屋の見習いとなり、1992年11月場所で初土俵。
師匠は引退間もないので龍二少年は対抗できず、以後「育ての父」のように尊敬。師匠の一言を素直に聞き、19歳の1995年に昭和50年代生まれ第1号の関取として新十両。十両では足踏みで、新入幕は同年生まれの栃東に抜かれたが、それでも1997年に新入幕を果たし、「ゴイチ」のホープとして次代の注目力士となった。
1999年に大関に昇進。横綱昇進も期待されたが、大勝を挙げられず、結局大関に65場所在位。2010年1月場所限りで引退。
引退後は年寄・佐ノ山を襲名。九重部屋の部屋付きとなったが、2016年に育ての父の師匠が逝去。14代九重を襲名して部屋師匠を継いだ。