朱異
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朱 異(しゅ い、? - 257年)は、中国の三国時代の呉の武将。字は季文(きぶん)[1]。父は朱桓。従父は朱拠。
生涯[編集]
揚州呉郡呉県の出身[1]。父の朱桓が高官だったこともあるが、朱異自身も孫権から「肝の据わった人物」として高く評価され、郎に取り立てられた後、偏将軍・大都督と要職を歴任した[1]。主に魏との戦いで武功を立てる[1]。
257年に魏で諸葛誕の乱が起きると、朱異は諸葛誕の救援に赴くが司馬昭軍に厚く包囲される寿春城を救援するどころか3度戦っていずれも敗れた[1]。孫綝は3万を増員した上で司馬昭軍への突撃を命じたが朱異は命令を拒否したため、激怒した孫綝により殺害された[1]。
『三国志演義』では第111回で登場し、ほぼ史実どおりである。