末松太平

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末松 太平(すえまつ たへい、1905年明治38年)9月11日 - 1993年平成5年)1月17日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大尉。青年将校運動の中心人物の一人で、二・二六事件に連座した。著書『私の昭和史』で知られる。

略歴[編集]

福岡県門司市(現・北九州市)生まれ。福岡県立小倉中学校、広島陸軍幼年学校を経て、1925年陸軍士官学校予科卒業。青森歩兵第五連隊に配属され、大岸頼好少尉に出会い国家革新運動に接する。同年陸軍士官学校本科に入学、大岸の紹介で西田税に出会い、翌年に北一輝とも会い影響を受ける。1927年陸軍士官学校卒業(39期)、青森歩兵第五連隊に復帰、陸軍少尉に任官。1928年陸軍歩兵学校卒業。1930年陸軍中尉に任官。

1931年8月から3ヶ月間陸軍戸山学校に甲種学生として派遣され、相沢三郎ら青年将校運動の中心人物たちと交流する。同8月秋のクーデターに向けて青年将校や右翼が集まった郷詩会と称する会合に参加し、同年秋の十月事件に連名した。桜会橋本欣五郎と西田税を引き合わせたが、後に末松ら皇道派青年将校と橋本ら幕僚将校が対立する契機となった。満州事変の勃発により、1931年11月満州に出征。歩兵砲隊長として熱河作戦に参加した。1934年3月帰国、陸軍歩兵学校学生を経て、1935年8月陸軍大尉に任官。1935年9月不穏文書を配布したとして重謹慎30日。

1936年2月の二・二六事件には青森連隊所属の大尉であったため直接参加しなかったが、「「昭和維新」に進むべきだとする意見具申・電報発信等」[1]を行い、3月に収監、8月に反乱者を利する罪で起訴された。1937年1月陸軍の軍法会議で禁固4年(求刑禁固7年)の判決を受け、免官となった。1939年4月仮釈放。

戦後はサラリーマン。1960年雑誌『政経新論』主幹となり、「二・二六事件異聞」の連載を開始。1963年に連載をまとめて『私の昭和史』(みすず書房)を刊行。昭和史の第一級資料と評価された。また三島由紀夫に文学的側面からも絶賛された。

1993年1月17日、急性心不全のため死去、87歳[2]

著書[編集]

単著[編集]

  • 『私の昭和史』 みすず書房、1963年、新版1974年
    • 『私の昭和史――二・二六事件異聞(上・下)』中央公論新社(中公文庫)、2013年
  • 『軍隊と戦後のなかで――「私の昭和史」拾遺』 大和書房、1980年

分担執筆[編集]

  • 谷川健一、鶴見俊輔、村上一郎責任編集『ドキュメント日本人 第3 反逆者』學藝書林、1968年
  • 今井清一編『現代日本記録全集 第20 昭和の動乱』筑摩書房、1969年
  • 秋山清『佇む 心やさしき反逆――秋山清対話集』海燕書房、1973年
  • 東京12チャンネル社会教養部編『新編私の昭和史 2 軍靴とどろく時』学芸書院、1974年
  • 島津書房編『証言・昭和維新運動』島津書房、発売:仮面社、1977年
    • 鈴木邦男編著『BEKIRAの淵から――証言昭和維新運動』皓星社、2015年

脚注[編集]

  1. 筒井清忠「解説」末松太平『私の昭和史――二・二六事件異聞』下 中央公論新社(中公文庫)、2013年、301頁
  2. 「末松太平氏死去」『朝日新聞』1993年1月19日付朝刊(1社)27面

参考文献[編集]

  • 岡部牧夫「末松太平」朝日新聞社編『「現代日本」朝日人物事典』朝日新聞社、1990年、850頁
  • 末松太平『私の昭和史』 みすず書房、1974年(新版)
  • 末松太平『私の昭和史――二・二六事件異聞(上・下)』中央公論新社(中公文庫)、2013年
  • 日本近代史料研究会編『日本陸海軍の制度・組織・人事』東京大学出版会、1971年
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典 第2版』東京大学出版会、2005年、84頁
  • 判沢弘「末松太平」朝日新聞社編『現代人物事典』朝日新聞社、1977年、685頁
  • 堀幸雄『最新 右翼辞典』柏書房、2006年、306頁
  • デジタル版 日本人名大辞典+Plus
  • 20世紀日本人名事典