判沢弘

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判沢 弘(はんざわ ひろし、1919年1月6日 - 1987年2月23日)は、思想史家。

略歴[編集]

鳥取県米子市錦町生まれ。早稲田大学文学部史学科卒業。東京工業大学工学部教授を経て、早稲田大学理工学部講師[1]思想の科学研究会会員[2]。同会内の研究サークル「身上相談研究会」、「庶民列伝の会」[3]、「転向研究会」、「維新研究会」等に参加した[1]。著書に『土着の思想』(1967年)があり、辻潤田中王堂高畠素之橋本英吉津久井竜雄桐生悠々橘樸の7人を論じている。

人物[編集]

  • 東工大で鶴見俊輔の助手を務めていたことがある[4]
  • 仏教学者の中村元は、判沢について、「反骨の思想家と申しましょうか、そういう方でいらっしゃいます。」と評している[2]

著書[編集]

単著[編集]

  • 『土着の思想――近代日本のマイノリティーたち』(紀伊國屋書店[紀伊國屋新書]、1967年/新装版、1979年/精選復刻紀伊國屋新書、1994年)

編著[編集]

  • 『明治の群像6 アジアへの夢』(編、三一書房、1970年)
  • 『戦後思想の潮流――その虚像と実像』(伊東光晴、城塚登、山田宗睦、多田道太郎、神島二郎、高畠通敏共編、新評論、1978年)

分担執筆[編集]

  • 思想の科学研究会編『民衆の座』(河出書房[河出新書]、1955年)
  • 思想の科学研究会編『身上相談』(河出書房[河出新書]、1956年)
  • 林達夫ほか共著『講座現代倫理 第7巻 現代的状況における人間』(筑摩書房、1958年)
  • 思想の科学研究会編『共同研究 転向(上中下)』(平凡社、1959-1962年、のち東洋文庫)
  • 神島二郎編集『現代日本思想大系 第10 権力の思想』(筑摩書房、1965年)
  • 大河内一男大宅壮一監修『近代日本を創った百人 上』(毎日新聞社、1965年)
  • 思想の科学研究会編『共同研究 明治維新』(徳間書店、1967年)
  • 市井三郎編『明治の群像1 開国の苦しみ』(三一書房、1969年)
  • 朝日ジャーナル編集部編『日本の思想家 中』(朝日新聞社[朝日選書]、1975年)
  • 朝日ジャーナル編集部編『日本の思想家 下』(朝日新聞社[朝日選書]、1975年)

出典[編集]

  1. a b 判沢 弘(ハンザワ ヒロシ)とは コトバンク
  2. a b 中村元「伝統とは?〔含 教育改革に関する意見書〕」『比較思想研究』14, p1-19, 1987
  3. 中西茂行「「思想の科学」におけるライフヒストリー研究とマンガ研究 : 民間学とアカデミズムの交差の視点より」『金沢学院大学紀要. 文学・美術・社会学編』13, 59-76, 2015-03
  4. 横尾夏織「思想の科学の転向研究」『社学研論集』14, 180-195, 2009