朝倉始末記

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朝倉始末記(あさくらしまつき)とは、越前戦国大名であった朝倉氏の興亡を記録した史書のことである。朝倉氏と加賀一向一揆との抗争を記録した『賀城闘諍記』と朝倉氏を滅ぼして越前を平定した尾張の戦国大名である織田信長の記録を記した『勢州軍記』を基本にして、『朝倉亭御成記』などを加えた記録が原型になったものと考えられている。写本によって異同はあるが記事はおおむね性格で史料性は高い。

概要[編集]

著者・成立年代[編集]

著者は不明だが、著書の中身から恐らく朝倉氏の旧臣により天正5年(1577年)頃に成立したものと考えられている。

「始末」とは、朝倉氏代々の「事の次第」の記という意味で編纂されたものと思われる。

内容[編集]

巻数不明。時代により巻数が異なっているためである。8巻のものが多いので、全8巻の可能性がある。朝倉家の興隆、滅亡までを記した軍記物である。

8巻本と仮定した場合、朝倉家の由来から越前・加賀一向一揆の戦い、永禄の変足利義昭が越前一乗谷に逃れるまでが1巻から4巻である。その後、織田信長との戦い、朝倉家と浅井家の滅亡までが6巻までである。7巻から8巻にかけては朝倉家滅亡後の越前の争乱、主に越前一向一揆に関する記録である。

なお、始末記では朝倉家の開祖である朝倉孝景のことを「敏景」と書いている。この始末記が原因で孝景の名が「敏景」として有名になったという。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

参考文献[編集]