曾禰千町
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曾禰 千町(そね ちまち、? - 明治42年(1909年))は、日本の男性。内閣総理大臣・陸軍大将であった田中義一の異父兄[1]。
略歴[編集]
父は曾禰某。母は阿部五郎右衛門の長女・田中美世。幼名は一介[1]。
早くに実父が死んだので、母の美世は田中信祐と再婚し、その際に幼かった千町は連れ子として田中家に入って育った。母の美世は信祐との間に田中祐可と田中義一を産んだので、千町にとって彼らは異父弟となる。田中家で育ったものの、姓はそのまま曾禰であり、家督も曾禰家を継承している[1]。
江向小学校(現在の明倫小学校に統合されている)の代用教員となり、若い頃の義一に小学校の教員として働けるように尽力した。ところが明治9年(1876年)10月の萩の乱に参加したため、戦後に謹慎30日の処罰を受けた。その後は旧藩主・毛利氏の家職を務めている[1]。
明治42年(1909年)に死去[1]。
子に曾禰隆道と曾禰乙熊がおり、彼らは田中義一の養子になっているが、後年にいずれも縁組が解消されている[1]。