曹節 (皇后)
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曹 節(そう せつ、? - 260年)は、後漢の第14代(最後)の皇帝・献帝(劉協)の皇后。通称は曹皇后(そうこうごう)。諡号は献穆曹皇后(けんぼくそうこうごう)。
生涯[編集]
父は曹操[1]。兄は曹丕。他の兄弟姉妹に曹彰・曹植・曹憲・曹華・曹熊など多数いる。
213年に曹憲・曹華らと共に献帝に嫁いで夫人に列する[1]。214年に3人揃って献帝の貴人となった[1]。この年に献帝の皇后である伏寿が曹操によって殺害されたため、215年に新たな皇后として曹節が立つ事になった[1]。220年に曹操が死去し、兄の曹丕が献帝に対して禅譲を迫った際、曹節は曹丕の仕打ちに怒って、泣きながら璽綬を投げつけたという[1]。その後、献帝が曹丕より山陽公に封じられると、曹節はその夫人として同行し、魏末期の260年に死去した。夫の献帝が亡くなってから26年も長命を保った。
死後、遺体は献帝の陵墓に合葬されたという[1]。
『三国志演義』では兄の曹丕の簒奪に対して協力的に動いて献帝を見捨てるように描かれている時もあれば、史実同様に曹丕の仕打ちに怒って璽綬を投げつけるなどしている時もあり、三国志演義のできた版により活動が異なっている。主に初期が曹丕の仕打ちに協力的である[1]。