明神 六郎左衛門(みょうじん ろくろうざえもん、? - 文禄元年(1592年))は、安土桃山時代の武将。長宗我部氏の家臣[1]。
元は和泉国の武士で、土佐国に天正15年(1587年)か天正16年(1588年)に移り、長宗我部元親に仕えて土佐安芸郡甲浦の白浜領主となる。文禄元年(1592年)、文禄の役の際に熊川の戦いで戦死した[1]。