昌豨
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昌 豨(しょう き、? - 206年)は、中国の後漢末期の武将。『先主伝』によると別名に「昌 覇」(しょう は)もある。
生涯[編集]
徐州東海郡の出身[1]。最初は呂布に味方して曹操と戦い、198年に呂布が曹操に処刑されると曹操に降伏した[1]。200年に劉備が徐州で反乱を起こすと呼応して曹操に反逆するが、201年に張遼の討伐を受けて降伏する[1]。206年に再び曹操に対して反乱を起こし、于禁・夏侯淵・臧覇に鎮圧され、昌豨は旧友の于禁を頼って帰順しようとしたが、于禁は法律に従い泣きながら処刑したという[1]。
『三国志演義』では孫観や呉敦・尹礼と共に泰山郡の山賊とされ、呂布が処刑されると他のメンバーが曹操に帰順する中で昌豨だけは帰順せず以後は物語にも登場しない。