日本霊異記
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日本霊異記(にほんりょういき)は、平安時代初期の弘仁年間(810年~824年)に作られた日本最古とされる説話集である。仏教に関する説話116編(条)を収録する。上巻・中巻・下巻の三巻からなる。正式名は「日本国現報善悪霊異記」といい、日本霊異記は通称である。著者は、在家出身と考えられている薬師寺僧・景戒である[1]。
概要[編集]
時代背景は、雄略天皇から嵯峨天皇までの時期とし、形式は中国の仏教説話集に倣う。興福寺本は1922年(大正11年)に、東金堂の「塵埃の裡」から発見された。904年(延喜4年)の原本書写年次が書かれており、最古の写本として国宝に指定されている。各巻に序があり上巻の序には仏教の伝来を記し、中巻の序に聖武天皇の仏教への貢献を記し、巻の序には因果応報の理を説く。 歴史学の立場から『日本霊異記』を検討したはじめての注釈書は『考証 日本霊異記』がある[2][3]。文学の立場からの注釈書には『日本霊異記 (新潮日本古典集成)』がある[4]。
吉祥天女像[編集]
聖武天皇の時代に一人の優婆塞(半僧半俗の行者)が和泉の国の山寺にある吉祥天女の像を見て恋をした。天女の像と婚する夢を見たが、翌朝天女像の腰衣に不浄のものがついていたので恥じいった。これを知った弟子は村人に秘密をしゃべってしまった。村人は像を見て、行者を追及すると、行者はついに告白した。吉祥天女は信ずる者を救うために慈悲をあらわし、我が身を犠牲にしたと村人は解釈した[5]。