成 宜(せい ぎ、? - 211年)は、中国の後漢末期の武将。涼州の小軍閥の一人[1]。
211年に馬超・韓遂と共に曹操に対して反乱を起こした軍閥・関中十部の一人で、曹操と戦って敗れ、李堪と共に戦死した[1]。後に曹操が魏公に昇格する際、この討伐が功績のひとつに挙げられた。
『三国志演義』では韓遂の手下八部の一人とされ、馬超らと長安を陥落させるのに貢献したが、曹操との戦いでわずか30騎で偵察に赴いてきた際、夏侯淵ら曹操軍の伏兵に包囲されて斬られた。