徳田茂
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徳田 茂(とくだ しげる、1947年4月4日[1] - )は、保育者。金沢市障害児通園施設ひまわり教室職員、白山・野々市つながりの会代表[2]。「障害児を普通学校へ・全国連絡会」運営委員[3]。
経歴・人物[編集]
石川県金沢市生まれ。1970年金沢大学法文学部文学科(心理学専攻)卒業[3]。在学中、障害児問題を考えるサークルに所属し、卒業後は滋賀県の障害児・者の入所施設で働く[4][5]。1973年5月に生後半年の長男がダウン症だとわかったとき大きなショックを受け、自分にも差別の意識があると気付いたという。その後、障害児を「分けない」ことで偏見を無くしたいと考える[6]。1974年6月、金沢市に学校が受け入れない障害児が通える場として障害児通園施設「ひまわり教室」を開き[5]、2011年3月まで代表[3]。1978年に金沢市の委託事業となってからは就学前の幼児を受け入れるようになり、1980年には松任市(現・白山市)にも教室を開設した(2003年閉鎖)[5]。
1978年に松任市と野々市町(現・野々市市)の障害児の親らで「つながりの会」(障害者の暮らしと教育を考える会、松任・石川つながりの会[7])を結成、障害児が地域の学校で共に学ぶことを目指す活動を続ける[2]。2001年から2014年まで「障害児を普通学校へ・全国連絡会」代表[8][3]。2003年時点で同会世話人[4]。
1995年に『知行とともに――ダウン症児の父親の記』(1994年)で、第32回一般財団法人日本保育学会保育学文献賞を受賞[9]。2009年に青鳥会ヘレン・ケラー賞を受賞[5]。2016年に第48回中日教育賞を受賞[2]。
著書[編集]
単著[編集]
- 『知行とともに――ダウン症児の父親の記』(川島書店、1994年)
- 『子育ては自分育て』(青樹社[らいふあっぷ・せれくしょん]、1996年)
- 『障害をもつ人の家族の心理』(伊藤智佳子編、一橋出版[障害者福祉シリーズ]、2003年)
- 『共に生き、共に育つ――障害児保育の現場から/社会の壁をなくすために』(ミネルヴァ書房、2019年)
編著[編集]
- 『地域に生きともに育つ――新たな「障害児」教育をめざして』(森義久共編、社会評論社[現代教育選書]、1986年、増補改訂版1994年)
- 『「障害」児と共に地域に根ざす――石川県・ひまわり教室の15年』(柘植書房、1989年)
- 『いっしょに生きるってすてきだな――石川・ひまわり教室の20年』(柘植書房、1994年)
- 『出会い、支え合い、育ち合い――ひまわり教室の子どもたち、大人たち』(青樹社、1998年)
- 『つながり合いともに生きる――「共生共育」を求め続けて』(野田龍三共編著、柘植書房新社、1999年)
- 『いろんな子がいるからおもしろい』(青樹社、2000年)
- 『特別支援教育を超えて――「個別支援」でなく、生き合う教育を』(現代書館、2007年)
分担執筆[編集]
- 津田道夫編、障害者の教育権を実現する会著『一美よ、たかく翔べ――手記・障害児の父として母として』(現代ジャーナリズム出版会、1980年)
出典[編集]
- ↑ 日外アソシエーツ編『現代日本執筆者大事典 第4期 第3巻』日外アソシエーツ、2003年、1928頁
- ↑ a b c 中日教育賞 受賞者 中日新聞
- ↑ a b c d 共に生き、共に育つ―障害児保育の現場から/社会の壁をなくすために 紀伊國屋書店
- ↑ a b 『障害をもつ人の家族の心理』著者紹介
- ↑ a b c d 「徳田さん、ヘレン・ケラー賞 障害児施設「ひまわり教室」開設35周年 /石川県」『朝日新聞』2009年12月2日付朝刊29面(石川全県・2地方)
- ↑ 障害児 共に歩もう 普通学級入学へ奔走 北陸中日新聞2012年8月12日朝刊(石川)
- ↑ 『地域に生きともに育つ』(増補改訂版)執筆者紹介
- ↑ 代表交代のご挨拶 障害児を普通学校へ・全国連絡会(2015年5月10日)
- ↑ 保育学文献賞 一般財団法人日本保育学会