御船城

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御船城(みふねじょう)とは、現在の熊本県上益城郡御船町御船980にかつて存在した日本である。現在は城山公園となっている。

概要[編集]

この城は御船市街の東側、田園地帯に盛り上がった東西およそ40メートル、南北100メートル余り、比高は20メートルほどの独立丘上にある城であった。築城年代に関しては明らかでは無い。

阿蘇氏大宮司に仕えていた重臣・甲斐親宣の息子・甲斐親直(宗運)は戦国時代屈指の名将として知られている。父の跡を継いで阿蘇氏の重臣になると、天文年間(1532年 - 1555年)に阿蘇氏に対して反乱を起こした御船行房を討伐した功績により、御船城を与えられて城主となる。以後、宗運は阿蘇氏を支えながら各地の敵を討って名を馳せてゆき、天正9年(1581年)には島津義久の命令を受けて侵攻してきた相良義陽響ヶ原の戦いで打ち破って討ち取るなど、島津氏すらその勢いの前に手を出すことができなかった。

だが、天正13年(1585年)に宗運が死去すると甲斐氏は急速に衰退し、島津義久の侵攻を受けて御船城は落城し、後に廃城となった。

現在は城山公園として城跡は整備されており、御船町民の憩いの場となっている。地形上から本丸、2の丸が存在していたと思われ、本丸跡北端に菅原道真と甲斐宗運を合祀する天満宮も存在する。その社殿左手に江戸時代後期の文化12年(1815年)になって造立された御船古城記念碑がある。

アクセス[編集]

  • 交通センターからバスで30分。