後藤又兵衛尉政次伝
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後藤又兵衛尉政次伝(ごとうまたのびょうえのじょうまさつぐでん)とは、戦国武将・後藤又兵衛に関する史料である。
概要[編集]
著者・成立年代[編集]
著書に「定祐」と書かれている。これが誰の事か正確には不明で、一説に紀伊国和歌山藩に仕えていた宇佐美流の軍学者である宇佐美定祐(良永)のことではないかといわれる。仮に定祐が著者の場合、彼の没年は正徳3年(1713年)なので、この年までに書かれた後代史料ということになる。
別称を『後藤政次伝』(ごとうまさつぐでん)、『後藤又兵衛伝』(ごとうまたのびょうえでん)。
内容[編集]
後藤又兵衛と言えば、「又兵衛」の通称と「基次」(もとつぐ)の諱で著名だが、政次とは又兵衛が黒田長政に仕えていた頃の名乗りだと言われている。恐らく、長政からの偏諱であると推定される。後藤又兵衛に関する1代記で、全1巻。又兵衛に関する多くの説話を漢文体で綴っている。
この著書によると、又兵衛の生年は永禄3年(1560年)4月10日。場所は播磨国姫路とされている。以後、黒田如水・長政父子に仕えてその武勇で多くの武功を立てたこと、長政との対立による出奔、大坂の陣における活躍と討死までで、最後は著者の定祐が又兵衛の武勇を讃える形で終わっている。