張勲
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張 勲(ちょう くん、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。袁術の家臣で大将軍に任命された。
生涯[編集]
193年に袁術が揚州を支配した際に橋蕤と共に大将軍に任命される[1]。197年に橋蕤と共に徐州の呂布を討伐するが、陳珪の計略により楊奉と韓暹の裏切り大敗した[1]。
199年に袁術が死去すると、孫策を頼って落ち延びよううとしたが、その途上で劉勲に攻撃されて捕虜となり、その後の行方は不明である[1]。なお、孫策が袁術の下にあった際、張勲は橋蕤と共に孫策を尊敬したという[1]。
『三国志演義』では袁術配下の都督として登場し、呂布討伐の指揮官となる。この戦いの敗北以降は登場しない。