張作霖爆殺事件

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張作霖爆殺事件(ちょうさくりんばくさつじけん)とは、中国の奉天市近郊で奉天軍閥の指導者張作霖関東軍によって列車ごと爆殺された事件である。

概要[編集]

満州を支配していた張作霖は日露戦争で日本と協力していたことから日本の支援を受けていた。1922年の第一次奉直戦争では直隷派に敗北したものの、1924年の第二次奉直戦争では直隷派に大勝し、影響力が増大した。 しかし、北伐を行い軍閥の討伐を行っていた中国国民党蒋介石と対立。また、反日・反ソ的な姿勢を取ったことで欧米列強の支援を受けたのはいいものも、南満州鉄道などに対抗できる鉄道網の整備を進めたため、関東軍・満鉄などの日本の権益を失うこととなった。そのうえ、奉天軍閥内では軍事費が増大し、インフレが進行。不換紙幣などの紙幣を大量に発行したことで国力が低下した。一方、北伐を進めていた蒋介石も中国共産党の離反・ソ連の支援打ち切りなどにより北伐の遂行が事実的の不可能となった。準備を整え1928年に第二次北伐を行うと、中華民国の統治者である蒋介石から「満州には侵攻しない」という言質を取ったことによって日本側は満州に居座り日本の権益を損なう張作霖が邪魔になっていた。そこで関東軍は1928年6月4日に張作霖が乗った列車を爆殺した。護衛の兵士17名も死亡した。

爆破された列車に使用された車両[編集]

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これによる影響[編集]

この事件を日本政府が黙認したことにより、大日本帝国陸軍(統制派・皇道派)がどちらも影響力を増大させた。大日本帝国陸軍の中や、一部の国民は文民政府ではなく、軍部主導のもとによる強い政府を作ろうとする動きが加速。また、国民が軍に対する強い支持を表明したため二・二六事件などによる皇道派の軍部政府樹立を目的としたクーデターや日中戦争などの関東軍の勝手な行動を止められなくなった。また、これが関東軍による行動だと知らされたのは戦後の東京裁判である[1]

関連項目[編集]

注釈[編集]

  1. 中国軍の行動だとされていた。このロジックは盧溝橋事件でも使われた。