庄内軍記
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庄内軍記(しょうないぐんき)とは、安土桃山時代における島津氏の内乱に関する史料である。
概要[編集]
著者・成立年代[編集]
著者は島津氏の関係者であると思われる。軍記における主役の伊集院忠棟についての誅殺を「天罰」などと表現しており、伊集院氏の一族を常に「敵」と表現しているからである。
成立年代は延宝4年(1676年)とされるが、これは書写した年ではないかと疑われている。記事に関しては寛永3年(1626年)までは存在するから、それ以降なのは間違いない。
別称は『日州庄内軍記』(にっしゅうしょうないぐんき)、『庄内軍記附拾遺』(しょうないぐんきつきしゅうい)。
内容[編集]
慶長4年(1599年)3月に勃発した庄内の乱に関する記録である。全1巻。『庄内陣記』と内容はほぼ同じだが、陣記が軍記を改めている部分、補ったりした部分が見られる。また、記事の大部分が合戦に参加した武将の目録、あるいは討ち死にした人物の名簿であり、乱に関しての記述はそれほど多いわけではない。例えば、陣記では大小15の合戦があったとしているのに、軍記ではその半分以下の7つしか記録がない。
ところが、陣記が巻末を欠いているため、庄内の乱について全てを把握するには、これを依拠せざるを得ない状態である。伊集院忠棟の誅殺から、その子の忠真の誅殺までを記して、最後は「薩隅日三州の静謐長久、千秋万歳、目出度候」と結んで終わっている。