庄内陣記
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庄内陣記(しょうないじんき)とは、安土桃山時代における島津氏の内乱に関する史料である。
概要[編集]
著者・成立年代[編集]
著者は島津氏の関係者であると思われる。『庄内軍記』を補うためにできたような著書である。
成立年代は少なくとも軍記が成立した後となる。
内容[編集]
島津氏の内乱である庄内の乱についての記録である。ただ、現在では慶長4年(1599年)の部分しか伝わっておらず、それ以降の部分、つまり『島津史料集』解説による48項目のうち、32項目しか伝わっていない。そのため、慶長5年(1600年)の島津氏と伊集院氏の和睦、慶長7年(1602年)の伊集院忠真の誅殺などについては伝わっていない。これについては欠失の可能性もあるが、未完に終わった可能性が指摘されている。何らかの事情で中途で挫折したのではないかと推定されている。これについては余りに正当に書きすぎて島津氏から圧力をかけられた可能性もある。
『庄内軍記』より庄内の乱について詳しく記しており、伊集院忠棟抹殺には島津忠恒とその父の島津義弘の関与を記録している。また、軍記と違って伊集院を「敵」あるいは「天罰」などと記しておらず、島津氏を一方的に贔屓するような記事が余り見られない点が注目される。
庄内の乱で徳川家康が島津氏を支持する一方、加藤清正など九州の大名が伊集院氏に同情して支持したので、島津氏は苦境に立たされ、慶長4年(1599年)11月頃に和睦の動きが出始めたところでこの著は終わっている。
乱に関する戦いにおいて、密偵の戦いなど細かいところまで補うように書かれているところが、戦いについてあまり詳しく書いていない軍記と違う点である。