川相昌弘
読売ジャイアンツ 一軍総合コーチ #78 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 岡山県岡山市南区 |
生年月日 | 1964年9月27日(60歳) |
身長 体重 | 176 cm 75 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手、外野手 |
プロ入り | 1982年 ドラフト4位 |
初出場 | 1984年4月24日 |
最終出場 | 2006年10月26日(日本シリーズ第5戦) |
川相昌弘 | |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督・コーチ歴 | |
川相 昌弘 (かわい まさひろ、1964年9月27日 - ) は岡山県岡山市出身の野球選手、プロ野球監督。血液型B型。
経歴[編集]
1983年、ドラフト4位で読売ジャイアンツに入団。「バント職人」 という異名をもつほどバントの回数が多く、通算で533本のバントを放ちギネス記録に認定された。テレビ番組の企画で、バントをして一塁ベースや三塁ベースに当てるという企画で何度も成功させている。
2003年に現役引退を表明。9月21日の引退試合では2番・二塁としてスタメン出場、第3打席でセンター前ヒットを放ち、代走を送られて退いた。引退後は一軍内野守備・走塁コーチ就任が内定していたが、直後に発生した原の辞任により、しばらく宙ぶらりん状態が続いた。混乱の後に球団から二軍内野守備・走塁コーチ就任を言い渡されたが、10月6日引退を撤回し巨人を退団した。1998年に川相自身に対して一軍ヘッドコーチとして理不尽な暴力をふるったと噂されている堀内恒夫の監督就任も退団の大きな要因と言われている(著書では否定)。
来季のコーチ就任を任命されながら、その後、原が今季限りで辞任し、球団から来季以降の契約の話が来なくて、川相がしびれを切らし引退を撤回して自由契約にしてもらった件で、比較的川相に同情的な声が多い中、野球評論家の豊田泰光は、「この世界は監督が交代したら、前監督との約束が反故になるのは当たり前」「新しい監督が決まれば、フロントと話し合いをしてチームの方向性を決めてるなどして時間がかかるから、すぐにコーチをやってくれとはならない」「契約を理解していない川相は子供」と述べた。
結局、元同僚の落合博満が監督に就任した中日ドラゴンズに移籍。2006年に現役を引退し、最後は日本シリーズ (対日本ハム) で送りバントを決め、有終の美を飾った。なお、川相本人も 「最後は日本シリーズを花道にしたい」 と発言していた。ちなみに1964年生のプロ野球選手で最後に現役を引退したのは川相である。
引退後、2013年から巨人のコーチを務め、2016年には巨人三軍、2018年には巨人二軍の監督に就任した。コーチ時代はなぜか親父ギャグがネタにされることが多かった。ある時はコーチとして会議に出席した際に、親父ギャグで「今日の議題は自分の番だと遅れそう(今日の犠打は自分のバントで送れそう)」と話した。他の持ちネタに「井端はいいバッター」。2ちゃんねるでは「何かにつけて親父ギャグを言い井端に連れ帰られるキャラ」になった。[ー。ー]つ<<< ´w`)「川相さん、帰りますよ」