川又昂
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川又 昂(かわまた たかし、大正15年(1926年)7月3日 - 令和元年(2019年)10月5日)は、日本の撮影監督。日本映画撮影監督協会(J.S.C.)名誉会員。川又 昴、川又 昻と表記されることもある。
経歴[編集]
「東京物語」などで小津安二郎監督の撮影助手を務め、1960年代に大島渚監督の問題作とされた「青春残酷物語」や「日本の夜と霧」で手腕を発揮し、名を知られるようになる。松本清張原作で野村芳太郎監督の「砂の器」や国内外で高評価を得た今村昌平監督の「黒い雨」などで日本映画の名作を数多く手がけている。平成3年(1991年)に紫綬褒章を受章した。
代表作に「鬼畜」「震える舌」「道頓堀川」など多数。
令和元年(2019年)10月5日午後3時5分、多臓器不全のため、神奈川県藤沢市の病院で死去。93歳没。
主な撮影作品[編集]
※太字は日本アカデミー賞撮影賞受賞作。★印は大島渚監督作品。☆印は野村芳太郎監督作品。
1940~50年代[編集]
- 長屋紳士録 (1947年)
- 風の中の牝鶏 (1948年)
- 晩春 (1949年)
- 麦秋 (1951年)
- お茶漬の味 (1952年)
- 東京物語 (1953年)
- 早春 (1956年)
- 東京暮色 (1957年)
- 彼岸花 (1958年)
- ここまで撮影助手時代(全て小津安二郎監督作品)
1960年代[編集]
- 銀座のお兄ちゃん挑戦す (1960年)☆
- 彼女だけが知っている (1960年)
- 黄色いさくらんぼ (1960年)☆
- 死者との結婚 (1960年)
- 青春残酷物語 (1960年)★
- 太陽の墓場 (1960年)★
- 最後の切札 (1960年)☆
- 日本の夜と霧 (1960年)★
- ゼロの焦点 (1961年)☆
- 図々しい奴 (1961年)
- 恋の画集 (1961年)☆
- 背徳のメス (1961年)☆
- 春の山脈 (1962年)☆
- からみ合い (1962年)
- 左ききの狙撃者 東京湾 (1962年)☆
- あの橋の畔で 第1部 (1962年)☆
- あの橋の畔で 第2部 (1962年)☆
- 裸体 (1962年)
- あの橋の畔で 第3部 (1963年)☆
- 拝啓天皇陛下様 (1963年)☆
- あの橋の畔で 完結篇 (1963年)☆
- 続・拝啓天皇陛下様 (1964年)☆
- 拝啓総理大臣様 (1964年)☆
- 五瓣の椿 (1964年)☆
- ウナ・セラ・ディ東京 (1965年)
- 素敵な今晩わ (1965年)☆
- ユンボギの日記 (1965年)★
- 望郷と掟 (1966年)☆
- 炎と掟 (1966年)
- 暖流 (1966年)☆
- おはなはん (1966年)☆ - テレビドラマ
- 命果てる日まで (1966年)☆
- あゝ君が愛 (1967年)☆
- 春日和 (1967年)
- 女の一生 (1967年)☆
- 男なら振りむくな (1967年)☆
- 夜明けの二人 (1968年)☆
- こわしや甚六 (1968年)
- 白昼堂々 (1968年)☆
- コント55号と水前寺清子の神様の恋人 (1968年)☆
- 黒薔薇の館 (1969年)
- でっかいでっかい野郎 (1969年)☆
- ひばり・橋の 花と喧嘩 (1969年)☆
- ワン.ツー.パンチ 三百六十五歩のマーチ (1969年)☆
- チンチン55号ぶっ飛ばせ!出発進行 (1969年)☆
1970年代[編集]
- 影の車 (1970年)☆
- こちら55号 応答せよ!危機百発 (1970年)☆
- なにがなんでも為五郎 (1970年)☆
- コント55号と水前寺清子の大勝負 (1970年)☆
- 花も実もある為五郎 (1971年)☆
- コント55号とミーコの絶体絶命 (1971年)☆
- 初笑いびっくり武士道 (1972年)☆
- 辻が花 (1972年)
- 同棲時代-今日子と次郎- (1973年)
- 喜劇 男の泣きどころ (1973年)
- 新・同棲時代-愛のくらし- (1973年)
- しなの川 (1973年)☆
- ダメおやじ (1973年)☆
- しあわせの一番星 (1974年)
- 東京ド真ン中 (1974年)☆
- 砂の器 (1974年)☆
- 想い出のかたすみに (1975年)
- 昭和枯れすすき (1975年)☆
- 友情 (1975年)
- 錆びた炎 (1977年)
- 八つ墓村 (1977年)☆
- 夜が崩れた (1978年)
- 事件 (1978年)☆
- 鬼畜 (1978年)☆
- 俺は上野のプレスリー (1978年)
- 配達されない三通の手紙 (1979年)☆