岡田貞寛
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岡田 貞寛(おかだ さだひろ、大正6年(1917年) - 平成17年(2005年))は、日本の男性で軍人。内閣総理大臣・海軍大将であった岡田啓介の次男[1]。
略歴[編集]
父は岡田啓介。母は岡田の2番目の妻である岡田郁。異母兄に岡田貞外茂。異母姉に岡田田鶴・迫水萬亀。同母姉に鈴木喜美子。同母妹に岡田不二子。
岡田が49歳の時の息子で、海軍経理学校在学中の昭和11年(1936年)2月26日、2.26事件に遭遇した。第2次世界大戦においてはフィリピンの部隊に転属され、セブ島で敗戦を迎えた。最終階級は主計少佐[1]。
戦後は飯野海運、国際海運などに勤務し、平成17年(2005年)に88歳の長寿で没した[1]。
『父と私の二・二六事件』という著を残している。