岡田郁

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岡田 郁(おかだ いく、明治15年(1882年) - 昭和3年(1928年))は、日本女性内閣総理大臣海軍大将であった岡田啓介の2番目の[1]

略歴[編集]

父は薩摩藩藩士である迫水久仲で3女。迫水久常の叔母に当たる[1]

岡田啓介は明治43年(1910年)に最初の妻である岡田英子を失っており、明治45年(1912年3月に郁は後妻として結婚した[1]。岡田との間には英子と同じく1男2女(次男・岡田貞寛、3女・鈴木喜美子、4女・岡田不二子)に恵まれている。

だが、郁も英子と同じく昭和3年(1928年)に岡田に先立ち46歳の若さで死去した[1]。この時、岡田は海軍大将にまで昇進はしていたが、首相にはなっていなかった。岡田はその後、妻は迎えなかったので首相になった際には妻はおらず、義弟の松尾伝蔵がその役割を果たすことになった。

脚注[編集]

  1. a b c d 『「家計図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣(昭和・平成編)』(2017年7月。実業之日本社、45頁

参考文献[編集]

  • 『「家計図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣(昭和・平成編)』(2017年7月。実業之日本社)ISBN 978-4408337180。