山田勝彦

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Baseball Pitcher.jpg 山田勝彦 Baseball Batter.jpg
基本情報
登録名 (本名)
本名 {{{本名}}}
出身地 愛知県名古屋市
生年月日 1969年4月7日
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 捕手
身長 183 cm
体重 83 kg
所属チーム {{{所属チーム}}}

山田勝彦(やまだかつひこ、1969年7月2日-)は愛知県出身の元プロ野球選手(捕手)。阪神タイガース日本ハムファイターズに所属していた。2015年現在、阪神タイガースで一軍バッテリーコーチを務めている。

経歴[編集]

選手時代[編集]

愛知県の東邦高校で高校通算24本塁打を記録し、1987年のドラフト会議で阪神タイガースから3位指名を受け入団。 将来の正捕手として期待され、2年目の1989年に初出場を果たすと翌90年には66試合に出場し初本塁打も放った。 1992年に長年正捕手を任されてきた木戸克彦のポジションを奪い、外角狙いの慎重なリードで投手陣の活躍を引き出してチームの2位躍進の立役者になった。この結果に大いに期待され阪神の正捕手になるかと思われたが、翌年からはリードの単調さ(投手に合わせたリードが出来ない)や稚拙なキャッチングが目立つようになり出場機会を減らしていった。チームに現れた久々の若き正捕手であることからファンからの人気も高かったが、もともとバッティングが苦手でチャンスでの凡退が多く、先述の拙守と合わせてファンから一転バッシングの対象にされるようになっていった。 また、同時期に矢野輝弘がチームに加入したことも彼にとって災いとなった。1999年から阪神の監督に就任した野村克也は矢野を評価した一方で山田のリードを酷評し、山田を一軍で積極的に起用しなかった。 2000年オフ、2対2(下柳剛+中村豊←→伊達昌司+山田)のトレードで日本ハムファイターズに移籍。新天地で再起を図ったが高橋信二中嶋聡らのライバルに阻まれて出場を増やすことが出来なかった。2004年に球団から戦力外通告を受けて退団。そのまま現役引退した。

コーチ時代[編集]

上記の経歴のように40代という若さながら3球団のバッテリーコーチを務め、嶋基宏伊藤光の育成に携わっている。現役時代はリードを酷評された野村克也からも「真面目な性格でコーチ向き」と高い評価を受けている。ちなみにオリックス時代に臨時に投手コーチの代行を務めたこともある。というのも当時の岡田彰布監督が一軍投手コーチと対立し、その結果投手コーチ全員が二軍に異動、一軍から投手コーチがいなくなったという事態だったからである。

人物[編集]

  • 2005年10月6日の現役引退会見にて山田は「まだ引退じゃねえぞ。メジャーからオファーがあるかもしれねえだろ。つーかオレ、なんで戦力外になって、こんな賑やかにやってんだ?」とコメントしていた[1]
  • まじめな人柄で選手からの信頼が厚い。乱闘時は選手を守るために自らベンチを出ることがある。

成績[編集]

年数 出場試合数 通算打率 通算打数 安打数 本塁打数 打点数 得点数 三振数 盗塁数 四球数 死球数
16年 795 .205 1753 360 21 130 121 388 3 93 7

[2]

注釈[編集]

  1. イーストプレス刊 「プロ野球 最期の言葉」村瀬秀信(著) ISBN 4781670814
  2. http://bis.npb.or.jp/players/93393868.html