山本対馬守

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山本 対馬守(やまもと つしまのかみ、? - 天正元年(1573年10月)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。受領名は対馬守で諱は不詳。室町幕府幕臣

生涯[編集]

父は山本実尚山城国愛宕郡岩蔵の豪族で、足利義昭に仕えた。元亀2年(1571年)9月の比叡山包囲に参加し、織田信長の案内役を務めて自らも寺院に放火したという。

山本は同じように義昭に仕えていた明智光秀に属していたが、元亀4年(1573年)2月に義昭と信長の対立が決定的になった際には、光秀が信長に属したのに対し、自らはあくまで義昭に属している。この際、磯谷久次渡辺宮内少輔らも味方につけている。

義昭の命令で静原山に築城して抗戦するが、7月20日に明智光秀の攻撃を受けている。そして天正元年(1573年)10月、遂に静原山城は落城し、山本は捕縛されて処刑され、その首級は信長の下に送られたという。