山口軍記
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山口軍記(やまぐちぐんき)とは、関ヶ原の戦いにおける北陸方面の戦いに関する史料である。
概要[編集]
著者・成立年代[編集]
少なくとも江戸時代中期に差し掛かろうとしている寛文5年(1665年)以降で、恐らく元禄年間(1688年から1704年)の成立と推定される。著者は不明。大聖寺城の攻防戦が特に詳しく書かれているため、山口氏の関係者だろうか。
『山口軍記』の名は、関ヶ原の際の北陸戦線で山口宗永が守る大聖寺城の攻防戦が特に詳しいことによる命名と見られる。別称は『山口記』(やまぐちき)、『慶長五年大勝寺攻城浅井縄手迫合』(けいちょうごねんだいしょうじこうじょうあさいなわてはくごう)。
内容[編集]
前田利家の死から始まり、前田利長が大谷吉継に攻められた堀尾晴基(吉晴か?)の支援要請を受けて、金沢から出陣する。小松城の丹羽長重に対して抑えの兵を残した後、山口宗永が守る大聖寺城を攻める。そして大聖寺城を落とした後、浅井畷の戦いについて記し、その後の利長の再出陣、そして関ヶ原の戦後処理と丹羽長重の後日談を記して話は終了している。
大聖寺城の戦いの際の個々の武将の氏名や言動、宗永による利長狙撃などが書かれており、他の類書よりこの辺りは詳しく書かれている。ただ、部分においては関ヶ原関係の軍記類に似た記述も見える。