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尾崎殿(おざきどの、生没年不詳)は、戦国時代の女性で後北条氏の一族。下総の大名・千葉親胤の正室。
北条氏康の娘。天文23年(1554年)12月から弘治元年(1555年)11月までの間に親胤に嫁いだと推測されている。しかし、弘治3年8月7日(1557年8月30日)に親胤がわずか17歳で早世したため、尾崎殿は早くから未亡人となった[1]。
子女は無く、そもそも『小田原編年録』所収「北条系図」における尾崎殿の呼称も何を由来にしているのか不明である。
その後の経歴も不詳である[1]。