小森田精子
小森田 精子(こもりた せいこ、1937年[1] - 2013年4月24日[2])は、無機化学者[3]、科学史家[4]。元・大阪大学助教授。日本科学者会議(JSA)代表幹事。
経歴[編集]
父は河内を中心に活躍した在野の考古学者、三木精一。精子という名前は父の名前から1字取って名付けられた[2]。大阪大学大学院理学研究科博士課程修了[1]。1965年「酸イミド銅(2)錯化合物の合成および電子スペクトル」で理学博士(大阪大学)[5]。大阪大学教養部専任講師[3]、助教授を経て[1]、同大学大学院理学研究科助教授。定年退職後の5年間、大阪大学の非常勤講師を務めた[3]。
1965年の日本科学者会議(JSA)の創立に参加し[3]、代表幹事、大阪支部幹事、女性研究者・技術者委員会の担当常任幹事を務めた[6]。大阪府池田市の母親運動、保育運動などでも活躍した[2]。池田市の選挙管理委員としても活躍し、2012年12月75歳になるまで選挙管理委員長を務めた[7]。おおさか女性9条の会呼びかけ人[8]、池田9条の会世話人、新日本婦人の会での創立当初から活動、池田保育運動連絡会の結成、保育所づくり、関西唯物論研究会(関西唯研)委員、「田辺製薬契約研究員、苗登明さんの過労死裁判を支援する会」副会長[9]など、数え切れないほどの活動に携わった[7]。
科学史研究[編集]
阪大の教養部で化学を講義し始めて一般教育について考えるようになったこと、70年代後半に理工系の学生たちが不可知論に傾斜している実態を知ったことから、科学論・科学史の必要性を感じ、1980年から1986年まで教養課程の低学年のセミナーに科学について考えるセミナーを開講した。科学史の専門家ではなかったため、JSA大阪支部哲学研究会の「東西科学の方法論比較」の研究グル-プ、アーユルヴェーダ研究会、化学史学会に加わった。1981年から哲学研究会で「実験科学の先駆としての錬金術の東西比較」の研究を開始し、研究成果を哲学研究会の機関誌『科学と人間』、共著『東の科学 西の科学』『科学と自然観』に発表した。哲学研究会とアーユルヴェーダ研究会の会員であったインド学者の誘いで1985年にインドへの調査旅行を行い、1988年に佐藤任との共訳著『インド錬金術』を刊行した[3]。
著書[編集]
単著[編集]
- 『暮らしに生かそうサイエンス――水・地・風・火・空のはなし』(新日本出版社、1993年)
- 『小森田先生の講義ノート――科学と人間』(せせらぎ出版、2003年)
共著[編集]
- 『無機化学序説』(中原昭次、中尾安男、鈴木晋一郎共著、化学同人、1985年)
- 『東の科学 西の科学』(菅野礼司、向江強、牧野哲、岩崎允胤、佐藤任共著、東方出版、1988年)
- 『インド錬金術』(佐藤任共訳著、東方出版、1989年)
- 『科学と自然観』(菅野礼司、佐藤任、蔡明哲、張明国、向江強、岡本正志、清水晃共著、東方出版、1995年)
出典[編集]
- ↑ a b c 小森田精子『暮らしに生かそうサイエンス――水・地・風・火・空のはなし』新日本出版社、1993年
- ↑ a b c 当選証書をいただいた小森田さんが旅たちました 山元たけしの あの日その時、 そしてこれから、2013年5月4日
- ↑ a b c d e 川崎健、北村実、小森田精子、本間慎『JSAと私の研究(PDF)』JSA eマガジン No.9、JSA eマガジン編集委員会、2013年1月20日
- ↑ 「九条の会」賛同メッセージ 九条の会
- ↑ CiNii 博士論文
- ↑ 女性研究者技術者委員会ニュースNo.26(PDF)日本科学者会議全国事務局、2013年5月30日
- ↑ a b 「小森田精子さんの志を継ぎ、科学と人間の未来を考えるつどい」 藤原みち子の活動日記、2013年9月30日
- ↑ 10周年の取り組み おおさか女性9条の会
- ↑ 国公労連速報 2009年12月10日《No.2272》 日本国家公務員労働組合連合会