小林庄一郎

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小林 庄一郎(こばやし しょういちろう、大正11年(1922年7月14日 - 令和2年(2020年2月4日)は、日本経営者関電の会長を務めたことで知られる。

経歴[編集]

大阪府出身。東京帝国大学を卒業し、昭和22年(1947年)に関西配電(関西電力)に入社する。昭和52年(1977年)に社長に、昭和60年(1985年)に会長に就任し、20年後の平成9年(1997年)に相談役に退任するまでの間、関電の経営トップを務めた。

昭和62年(1987年2月26日に開かれた取締役会で経営の実権を掌握していた当時の取締役名誉会長の芦原義重の解任動議を取り付けたり(関電の2.26事件)、石油火力発電に代わる電源として原子力を重視し、社長時代に大飯原発1号機と2号機を福井県に、高浜原発3号機と4号機を同じく福井県に営業運転させた。昭和59年(1984年)には電気事業連合会の会長として、青森県六ケ所村に核燃料サイクル施設の立地を正式に申し入れている。政財界に太いパイプを所持しており、NHKの経営委員長や関西経済連合会の副会長なども歴任した。