寛保津波
寛保津波(かんぽうつなみ)は、1741年(寛保元年)8月29日午前6時から8時にかけて発生した津波である。津波の原因にはいくつかの説があるが信頼できる史料が少ないこともあり、確定していない[1]。渡島大島は離島であり、かつ江戸時代においても無人島であるから、噴火活動の詳しい記録はほとんど残されていない。北海道防災会議(1977)の報告書では、噴火や山体崩壊を原因とするには津波の規模が大き過ぎ、一方地震の記録がないということから、津波の原因を断定してはいない[2]。
概要[編集]
1741年8月29日(寛保元年7月19日)の午前6時から8時にかけて大津波が発生した。日本海側の津波としては、最大の被害を出している。北海道の松前、乙部、江差だけでなく、佐渡島の相川、津軽の市浦、などにも津波が押し寄せた。地震マグニチュード(M)は6.9と見積もられている[3]。国土交通省によれば津波マグニチュード(Mt)は8.4とされている[4]。日本海域においては過去最大級の津波とされている[5] なお津波発生日の1741年8月29日には地震の報告はない。記録は少ないが、1741年8月27日に大噴火したという形跡がある。
噴火の概要 | |
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火山活動 | 1741年8月18日〜1742年5月 |
場所 | 日本 渡島大島 |
噴火の種類 | 準プリニー式噴火[6] |
噴火の規模 | VEI4[7] |
発生した現象 | マグマ噴火→(山体崩壊)→マグマ噴火 |
火砕物降下→岩屑なだれ→火砕物降下・溶岩流 |
津波の高さ[編集]
推定される各地の津波の高さは次の通り[8]。
奥尻島や檜山沿岸などでは、津波堆積物が確認されており[9]、調査の結果、この地域では13世紀にも、地震性の津波により被害が出ていた可能性があることがわかった[10]。
被害[編集]
- 死者2,083人[8]
- 「福山秘府」によれば、対岸の熊石から松前にかけての死者1,236人、流出家屋729軒[8]
- 佐渡島鷲崎で村の過半数の家が流出[8]。
- 北海道江差町で729軒の家屋が流失し、1467人が亡くなった[11]。
原因[編集]
この津波の原因には、①山体崩壊説、②低周波地震説、③地すべり説、④海底地震説などがある。
山体崩壊説[編集]
噴火による大規模な山体崩壊により津波が起きたという説である[12][13]気象庁は山体崩壊説[14]を取っているという説がある[15]。 噴火の規模はVEI4。火山性地震 (M6.9)・山体崩壊が発生し、噴火の翌日に岩屑なだれに伴う津波が発生したとする。 ただし直近で噴火があったのは8月27日との説があるので、山体崩壊説が正しいとするとその間の2日を合理的に説明する必要がある。江差町の正覚院には噴火が小康状態となり人々が安心したころ、突然津波が襲来したとする記録がある[11]。羽鳥徳太郎らは山体崩壊説では津波の規模を説明できず、発生の可能性は極めて低いとした[3]。
低周波地震説[編集]
津波は低周波地震によるものとする説である[8][16][17][18]。
地すべり説[編集]
渡島大島の北側斜面(大部分は海面下)で発生した大規模な地すべりによって起こったとする[19]。シミュレーションによる計算結果と津波の推定状況が合致するという。
海底地震説[編集]
東京大学地震研究所の羽鳥徳太郎らの研究によれば海底地震説を想定している[3]。大島西方沖の3000m等深線に沿い、長さ100km以上を想定すると、津波の規模や波高分布と整合的とした。 北海道大学理学部の渡島大島の現地調査では山頂付近で、幅1km北岸2.5kmの範囲で山体大崩壊の痕跡が見つかった。しかしこの程度の崩壊ではm=3の規模の巨大な津波には対応しないとする[3]。波源域は大島西方沖の3000m,等深線沿いに長さ100km以上の地震があったとすると合理的に説明できる[3]とされている。
脚注[編集]
- ↑ 今村文彦,大窪磁生他(2002)「津軽藩御国日記』の追加による寛保渡島沖津波(1741)の詳細調査」歴史地震 (18),歴史地震研究会,pp.166-175
- ↑ 北海道防災会議(1977)「渡島大島:火山地質・噴火史・活動の現況および防災対策」『北海道における火山に関する研究報告書』, 第6編,北海道防災会議
- ↑ a b c d e 羽鳥徳太郎, 片山通子(1977)「日本海沿岸における歴史津波の挙動とその波源域」]東京大学地震研究所彙報 52(1), pp.49-70、
- ↑ 日本海における大規模地震に関する調査検討会国土交通省,平成26年9月
- ↑ 【温故地震】北海道・渡島大島大噴火の巨大津波 絵図に残った凄まじい風景建築研究所特別客員研究員・都司嘉宣,産経新聞、2016年6月6日,参照日2021-03-15
- ↑ “volcano”. gbank.gsj.jp. 2021年6月26日確認。
- ↑ 国立天文台 『理科年表 令和3年』 丸善、753頁。ISBN 978-4-621-30560-7。
- ↑ a b c d e 羽鳥徳太郎(1984)「北海道渡島沖津波(1741年)の挙動の再検討」東京大学地震研究所彙報 59(1), pp.115-125
- ↑ 1741年渡島大島山体崩壊による 津波の浸水シミュレーション
- ↑ 過去の北海道南西沖津波:1741 年の津波と 13 世紀頃の津波(解説)
- ↑ a b 【北海道】寛保津波の碑岩手日報|accessdate=2021-03-15
- ↑ “崩れた大地震説 1741年の渡島西部大津波は「火山崩壊」”. shima3.fc2web.com. 2021年3月15日確認。
- ↑ “日本海東縁, 奥尻海嶺および周辺の大地震と海底変動(PDF)”. 海洋研究開発機構(JAMSTEC) (1998年1月14日). 2003年7月26日時点のオリジナル(リンク切れ)よりアーカイブ。2008年12月3日確認。
- ↑ 渡島大島 有史以降の火山活動 - 気象庁
- ↑ 気象庁のサイトにはそのように書かれていないようである
- ↑ 岡本行信他1998()「日本海東縁海域の活構造およびその地震との関係(PDF) 地質調査所月報,第49巻第1号,pp.1-18,(独)産業技術総合研究所 地質調査総合センター
- ↑ “噴火により発生する津波の見積り 1741年渡島大島の場合 ‐ 【津波ディジタルライブラリィ】”. tsunami-dl.jp. 2021年3月15日確認。
- ↑ “渡島大島の大津波”. nature.blue.coocan.jp. 2021年3月15日確認。
- ↑ 北海道立総合研究機構[「日本海沿岸域における過去最大級津波の復元」]地質研究所ニュースVol34.No1,2018.6