宇喜多秀高
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宇喜多 秀高 うきた ひでたか | |||||||||||||||||||||||||||
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宇喜多 秀高(うきた ひでたか)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武士・流人。宇喜多秀家の嫡男。母は前田利家の娘で豊臣秀吉の養女の豪姫。官位は従四位下侍従。
生涯[編集]
宇喜多秀家の長男で、弟に秀継がいる。慶長2年(1597年)に従四位下侍従に叙任される。さらに豊臣秀吉から豊臣姓を与えられた。
慶長11年(1606年)、父の秀家や弟の秀継と共に関ヶ原の戦いにおける処罰として八丈島へ流されて流人となった。流された八丈島において、同島代官・奥山縫殿助の娘を妻に迎え、子も授かった。
父が長命だったこともあり、父に先立って慶安元年(1648年)8月18日に没した。享年58。法名は秀光院殿運照居士。子孫は江戸時代を通じて続いたという。